2003.02.18

スーパー・ダルシャン談議

岩田 「予定のテーマから外れるけど、実は今日の早朝に瞑想している最中、2月14日のメッセージの紹介での会話に、自分の発言にも批判心の辛辣な波動がかなり入っているの気付いたんだ。
 談話室では公開していないメッセージの後半は、もっと辛辣な内容だったから、その影響も大きいんだろうけど。」

桃井 「それって、スーパー・ダルシャン(特別寄稿 開運術第五課 ダルシャン参照)の一種ですか?」

岩田 「そうだね。実はスーパー・ダルシャン的能力の中で最も鋭敏に使えるのは、言葉や文章から相手の波動を受け取ることなんだ。
 これは中学生時代からずっとその訓練をして来たようなものだから。」

桃井 「そのころからヨーガや気功をやっていたんですか?」

岩田 「そうではなくって、同じ本を表紙が擦り切れるくらい読み返すという作業は、マントラの修行と似た所があると思うんだ。
 論語や宋名臣言行録のように簡潔な記述を、繰り返し読みつづけることによって、その人の人生・思想・社会背景を数行の記述から読み取る訓練は、たしかにスーパー・ダルシャンの修練とも言える。
 ヨーガや気功の修行をしていない人でも、けっこうスーパー・ダルシャン的能力を使っている人が多いのは、常識を超えた回数の修練の繰り返しによって、自然とスーパー・ダルシャン的能力が開発されるからなんだろうね。」

桃井 「でもラーマクリシュナのような至福の波動だけでなく、マイナスの波動も受け取るようになるなら、スーパー・ダルシャンも、いいことばっかりじゃないんですね。」

岩田 「面白いのは、メッセージの辛辣な波動が桃井君にも影響を広げて、桃井君の発言にも普段より辛辣な批判の波動が混じっていることだね。桃井君は気付いていた?」

桃井 「えっ、・・・・・・・・本当だ。
岩田先生が耳が痛いと言っているのは、そのせいなんですね。」

岩田 「批判の波動の空間にいるときは、自分の批判の波動には気付かないんだけど、瞑想に入ると何日も前の意識状態の問題点に突然気付くこともある。
 これは、まだ会話の最中にその波動に気付くような、瞑想修行の段階には達していないということなんだ。
 普通はここで、コンテンツの修正をしてしまうんだけど興味深い例だし、読者のみなさんにも参考になるから、このままにしておこうと思うんだ。」

桃井 「私の発言も残るけど、スーパー・ダルシャンに関する面白い実例だからしょうがないですね。」

岩田 「そうだね。批判の波動にしろ、愛の波動にしろ、周りを巻き込んでその波動の空間をつくってしまうのだけど、批判の空間に生きるのは辛い人生だね。
 でも自分の人生を振り返っても言えることだけと、批判をする人はある程度は知性が高く分析力もあるので、正しいこと言っている面も確かにあるんだ。実は公開していない部分のより辛辣なメッセージの方が、とても鋭いコメントなんだ。
 だから自分が正しいと思っているし、確かに正しい面もあるので、そのデメリットに気付くことがとても難しい。
 よほどの親友や師に恵まれるか、かなりの心理学的自己分析や瞑想修行でもやらないと、この世界からはなかなか抜け出せない。まあ、かなり予定と話がずれたけど、まあ明日はちゃんとハウス展開の技法の技法に入ろう。」

桃井 「はい。今日は意外な話の展開になりましたね。」