カルマの法則カルマの法則について
インド占星術を学ぶためには、その根底に流れているカルマの法則を理解することが必要不可欠である。しかし、その概念については、あまり正確には理解されていないのが現状である。よって、今回、カルマの法則について詳しく説明しようと思う。 今回の「ヴェーダ哲学講座 カルマの法則」は、インドの占星家 K.N.RAO が、ヴェーダ聖典に記載されているいにしえの賢者の言葉をもとにして、「カルマ」についてまとめた内容を参考にさせていただいた。したがって、以下に述べる内容のエッセンスについては、私が勝手に作りあげたものではないことをはじめにお断りしておく。 カルマとは何か「カルマ(KARMA)」は、仏典などの漢訳では「業」と訳されているが、サンスクリット語から直訳すると「行為」、あるいは行為の結果として蓄積される「宿命」と訳すことができる。そして、カルマの法則とは、「過去(世)においてなした行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる」という因果応報の法則のことである。 この法則は、インド占星術の土台であるヴェーダ哲学の根底に流れている思想なのである。 カルマの二つの分類カルマには、アカルマ(AKARMA)とヴィカルマ(VIKARMA)の2種類がある。 アカルマ
アカルマは、最終的に解脱へと導くカルマである。ここでいう解脱とは、苦しみ多き輪廻(生まれ変わり)の世界から脱却することである。 完全に現世を放棄し、行為の果報に対する欲望を完全に滅した状態で、ある行為がなされる場合、それはアカルマとなる。 例えば、ビジネスマンがビジネスに没頭し、その結果ビジネスの分野において大成功を収め、大金を稼いだとする。それにもかかわらず、彼がビジネスそのものや、その稼いだ大金に対して一切欲望を持ず、また、それらに対して一切頓着しなければ、その行為はアカルマとなる。 しかし、これは実際には頭で考えるほどやさしいことではない。そして、この状態はヨーガにおいては非常に高い段階とされているのである。 完全に悟りに到達した聖者はすべての義務から解放されることになるが、それでもカルマだけは残る。この場合、その聖者は残ったカルマをアカルマとして認識する。 このアカルマは、そのカルマを経験し終われば、それ以上新たなカルマを生じさせない。その結果、すべてのカルマが消滅し、最終の解脱へと導かれるのである。 ヴィカルマ
一方、ヴィカルマは、恐ろしい輪廻(生まれ変わり)の世界、永遠と続く苦しみの世界に魂を縛りつけるカルマである。ヴィカルマは、それを経験することによって、さらに輪廻に縛られる種類のカルマである。 例えば、ビジネスマンがビジネスに没頭し、その結果ビジネスの分野において大成功を収め、大金を稼いだとする。その結果、彼がビジネスそのものや、その稼いだ大金に対して欲望を生じさせ、囚われを増大させたとする。 このとき生じさせた欲望と囚われによって、このビジネスマンは、この苦しみ多き輪廻の世界へ縛りつけられることになる。これこそ、まさにヴィカルマである。 ※この恐ろしき輪廻の世界から脱却しようとするヴェーダの思想は、この一生しか見ず、現世を謳歌しようとする現代の西洋的価値観からすれば、非常に奇妙なものに映ってしまうかも知れない。しかし、ヒンドゥー教や仏教、ジャイナ教など、インドに起源がある宗教においては、この輪廻の世界を苦であると認識し、その世界からの脱却を目指す解脱の思想がその根底に共通して流れている。これらの宗教間の違いは、「解脱に至るための方法論の違いに過ぎない」と言えなくもない。 カルマにおける四つの要素そして、アカルマにせよヴィカルマにせよ、そのカルマは次の4つの要素を持っている。 1)サンチッタ(Sanchita):過去世から集積されてきたカルマ 2)プララブダ(Prarabdha):サンチッタ・カルマのうち、今生で経験しなければならないカルマ 3)クリヤマナ(Kriyaman):今生のカルマ 4)アーガミ(Aagami):来世のカルマ 1)サンチッタ・カルマは、その人が過去世で積んできたカルマのうち、人間として積んだカルマだけをさす。よって、動物だった過去世とか、神だった過去世において積んできたカルマなどは含まれない。つまり、人間の生である今生において経験するカルマは、過去世の人間だった生で積んだカルマだけであって、それ以外の過去世で積んできたカルマについては、それぞれの世界に生まれ変わったときに経験することになる。 サンチッタ・カルマは、さらに2つのパートにわかれる。 1)プララブダ・カルマ 1つはプララブダ・カルマで、これには良いカルマと悪いカルマ、良くも悪くもないカルマが存在する。 カルマの果報として、人生での達成・成功や楽しみを経験し、悪いカルマの果報として、人生での挫折・失敗や悲しみを経験し、良くも悪くも無いカルマの果報としては、人生での平凡な経験をすることになるのである。 これは例えば、人に親切にすると、人から親切にされる。人に冷淡に接すると、人から冷淡に接される。人に良き言葉を語れば、人から良き言葉をかけられる、人に悪しき言葉を語れば、人から悪しき言葉をかけられるといったように、反射するカルマである。ここには、作用・反作用の法則が働いている。 2)過去世における経験を因とする動機 サンチッタ・カルマのもう1つのパートは、過去世での経験を因とする動機である。 ある人が今まで自分で出来ると思わなかったことを突然はじめることなどはこのような動機の結果である。ようするに、これはサムスカーラ(Samskara)の結果なのである。このサムスカーラは、「過去世において意識に刻み込まれた印象」を意味するサンスクリット語である。 例えば、過去世において占星術を実践し、占星術が印象として意識に刻み込まれていたとする。この人は、それまで占星術にまったく興味を示さなかったにもかかわらず、突然そのサムスカーラの影響によって占星術に興味を持ち始め、それを実践するようになる。 これが、サンチッタ・カルマのうち、過去世での経験を因とする動機である。そして、プララブダ・カルマが反射するカルマであるのに対し、この過去世での経験を因とする動機は投影するカルマであると言える。これは、過去世から繰り返してきた傾向を、今生でも再び繰り返すという形で作用する。
人生を構成するものよって、人生はプララブダ・カルマと、過去世での経験を因とする動機によって作られるストーリーなのである。そして、このプララブダ・カルマと過去世での経験を因とする動機によってなされる行為は次の4つのタイプに分類される。 1)すすんで自分の計画にしたがう行為 2)嫌々ながら自分の計画にしたがう行為 3)すすんで他人の計画にしたがう行為 4)嫌々ながら他人の計画にしたがう行為 これら4つのそれぞれについて、好ましいカルマ、好ましくないカルマ、どちらでもないカルマが存在している。しかし、これら4つのタイプの行為については、我々には自分で選択する権利が無い。これら4つのうちどの行為をなすにしても、実際にそれらの行為をなさせるものは、すべて宿命による強制ということができる。 プララブダ・カルマの中には、肯定的カルマと否定的カルマがあるが、我々はそれにより苦楽を受けなければならないことになっている。それを経験し終わらないかぎり、たとえ数千生かかっても、カルマの束縛から解放されることは出来ないのである。 賢いヨーギー(ヨーガ行者)は、その経験しなければならないプララブダ・カルマを、ただそのカルマを清算するだけのために受け入れる。そのカルマを経験しなくて済むように操作することはない。苦や楽に捕らわれずに、そのまま受け流そうとするのである。 これをなすとき、そのプララブダ・カルマはアカルマとなる。 それに対し、一般の人は、占星術や超能力、魔術、まじない、その他いろんな種類の方法を使って、何とかその不幸なカルマを回避しようとする。それを回避することは本質的には不可能である。 逆に、プララブダ・カルマによって生じる苦を嫌悪したり、それを避けようとすることにより、未来に経験しなければならない新たなカルマを生じさせることになる。これをなすとき、そのプララブダ・カルマは魂を苦しみ多き輪廻の世界へと縛りつけるヴィカルマとなる。 ところで、ヨーギーの中には、他人のプララブダ・カルマを次の生に延期させることができるものが存在するらしい。しかし、それはあくまでも延期であって、消滅させることはできないのである。 クリヤマナ・カルマクリヤマナ・カルマは人が自分の意思で自由に作れるカルマ、または避けることのできるカルマである。この限られた範囲内でのみ人は自由な行動を楽しむことが出来る。 そして、このクリヤマナ・カルマの領域では、人は、永遠と続く苦しみ多き輪廻の世界に導かれることにつながる、未来のカルマを作ることもできるし、カルマを清算し、今生や来世においての解脱への道を開くことも出来る。 つまり、クリヤマナ・カルマにおいても、プララブダ・カルマにおけるのと同様に、アカルマとヴィカルマの2種類に分けられるのである。 インド占星術は、宿命論の立場を取っているが、それは完全宿命論ではないのである。このクリヤマナ・カルマの領域では、人は自由意思によって行動することができる。しかし、このクリヤマナ・カルマの領域は、プララブダを含むサンチッタ・カルマと比べると、ごく一部しかないと言われている。 クリヤマナ・カルマについては次のような結果の現われ方がある。 a)純粋な動機とすばらしい結果 b)不順な動機とすばらしくない結果 a)即座にあらわれる結果 b)遅れてあらわれる結果 a)現世的な結果 b)精神的な結果 注意:クリヤマナ・カルマは自らの意思で自由に動ける唯一の領域ではあるが、それに対して、プララブダ・カルマと過去世を因とする動機が頻繁に働きかけ、葛藤を生じさせることになる。 |
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