2003.02.14

メッセージの紹介

桃井 「岩田先生、こんなメッセージが来ていますよ。」

Sさんのメッセージ
 以前アマチの八王子の会合に行ったとき、アマチのいる会場で、アマチの人形や、グッズを売っていました。ラーマクリシュナは、「金と女には気をつけよ」といい、座布団の下にあった金貨に触れたとたん痛みを感じました。お金を忌み嫌っていたラーマクリシュナと、いわば、マンディールにあたる場所でグッズを売っていたアマチとは、全く金銭に対する感覚が違うようですが、どこに聖者としての共通性があるのですか?

岩田 「プンプンした波動が伝わってくるメッセージだね。たぶん若くて純粋な人なんだろうな。」

桃井 「ラーマクリシュナとアマチを同列の聖者して認めたくないようですね。岩田先生はこの二人をどう評価しているのですか?」

岩田 「ラーマクリシュナについては前から本を集めていたけど、アマチについては以前に友人の貸してくれた本を読んだ以外は、あまり知らないんだ。その本も本屋で見つけたら買おうと思ったんだけど、見かけたことがなくってね。

 だから公式ホームページに載っているプロフィール以上の詳しいことは、ほとんど知らないんだ。そういうわけで、とてもコメントしにくいね。」

桃井 「大型書店の精神世界のコーナーにも、アマチの本が並んでいないのは、私も意外でした。」

岩田 「しかしメッセージの論点について、いくつかコメントしようね。」

桃井 「はい。」

岩田 「 アマチが日本における信奉者の活動を把握し、規則や活動マニュアルで管理しているなら別だけど、ラーマクリシュナの言葉と、アマチの日本における信奉者の活動を比較して、二人の聖者を比較するのは、議論の進め方としてはフェアじゃないと思う。といって日本ヴェーダーンタ協会の活動と比較すればいいわけでもないね。
 比較するなら、アマチとラーマクリシュナの言葉の二つを直接比較する必要があるはずだと思う。これが第一のコメント。」

桃井 「そうか・・・。確かに比較の次元が違っていますね。」

岩田 「次に第一のコメントをクリアしたとしても、救済という目的をもってこの世に来る聖者は、その救済対象となる集団に対応した救済のフォームで登場するということだね。ラーマクリシュナにはラーマクリュナが救済した対象があり、アマチにはアマチが救済する対象があるんだから、それに対応した法を説き、行動を示すしかないんだね。

 もしラーマクリシュナとして登場した存在が現代に生まれ、世界ツアーをしながら救済活動をすることを選択したら、それに対応した法を語り、行動をするだろうし、それは救済対象が異なるんだから、異なった法を語り、行動をするだろうね。」

桃井 「うーん・・・。」

岩田 「つまり言いたいことは、一般人が聖者の真意を測ることはとても困難だし、いろいろな聖者の言葉が表面上は相反するとしても、本質的には一つ法なのではないのかと、謙虚に検討した後に比較しましょう。
 でも、その比較が一方を愛するがゆえの他方の批判であるなら、比較しない方がいいと思うね。批判することによって自分の魂を傷つけないでいるのは、どんなに目的が崇高であってもほとんど不可能に近いことだからね。」

桃井 「それは、なんとなくわかります。」

岩田 「私にも、後から読み直して東西に載せたコンテンツの言葉を修正することが今でもあるから、自分で批判の心に気付くのは大変困難なことなのは確かだね。それに批判を喜んで聞いてくれる人には、世の中事欠かないからね。」

桃井 「とっても、シリアスな話になりましたね。」

岩田 「そうだね。それじゃあ、次は占星術技法の話ということで、明日はバーチャル・スクーリングに連載を続けている占星術講話の第一回を談話室の読者に公開しようか。」

桃井 「通信講座のバーチャル・スクーリング掲示板で、連載をいくつも抱えて、ホームページの更新が少し止まっていますしね。」

岩田 「耳が痛いね。」