2003.03.04

アクエリアス談義(その2)

岩田 「じゃあ、前回の続きでアクエリアスの時代とインド占星術について話そうか。」

桃井 「はい。」

岩田 「前回、インド占星術でもアクエリアスの時代と似た概念があるけど、春分点ではなくって秋分点に着目しているという話をした。
 でも秋分点と春分点は一方の位置が決定すれば、他方の位置が自動的に決定するものだから、インド占星術でも春分点を使う技法があるということだね。」

桃井 「それなら春分点を牡羊座の0度としたトロピカル12星座という概念も、インド占星術で使うこともあるのですか?」

岩田 「それは今のところ思い当たるものがないね。でもトロピカル12星座自体は、西洋占星術の発明したとても興味深い占星術技法だと思う。
 ただトロピカル12星座では使用できない重要な占星術技法が多く、使用出来る技法の範囲を正確に認識する必要がある。
 でもこの話にここでは深入りせず、話をアクエリアスの時代に戻そうか。この話はいろいろな過去の経緯が絡むからね。」

桃井 「羽田先生の頃からの因縁みたいですね。」

岩田 「西洋占星術でも最初はインド占星術と同じように、土星を水瓶座の支配星に割り当てていた。ところが天王星が発見された時に、これを水瓶座の支配星として割り当てたんだ。
 もし水瓶座の支配星が土星のままだったら、アクエリアスの時代のイメージはずいぶん暗いものになっていたと思うよ。」

桃井 「たしかに、障害や抑圧を意味する最大の凶星が支配する星座の時代では、あまり希望が持てませんね。」

岩田 「ところが天王星なら、発明と発見の科学の時代というイメージも持っているから、風のエレメントに属する水瓶座の精神性と重ね合わせて、科学と精神性が調和する輝かしい黄金時代というアピールが出来るよね。
 もともと水瓶座には博愛や平等心という象意があるから、宗教や民族が、血で血を洗う争いを繰り返したこの約二千年を厭う人々にとっては、アクエリアス時代の到来は救済の福音なんだろうね。」

桃井 「この約二千年の時代って、キリスト教によって代表される魚座の時代だったと思うんですけど、魚座ってそんなに悲惨な星座なんですか?」

岩田 「アクエリアスの時代の福音自体が、一般的な検証が不可能な未来の理想郷だから、それと対比される魚座にあらゆる人間悪を帰属させてしまうのは、人間心理の避けがたい性癖だ。

 実際のところ、インド占星術では水瓶座に対してかなり辛辣な評価をしているんだ。これはインド占星術が水瓶座を、土星の支配する星座として扱っているからなのかもしれないね。
 それに対して魚座は、インド占星術では木星支配の星座だから、ずいぶん好意的な評価になっているね。」

桃井 「西洋占星術が魚座に割り当てている海王星と、最大の生来的吉星の木星では、ずいぶん星座の評価が変わってしまいますね。」

岩田 「だからインド占星術から見れば、魚座の時代から水瓶座の時代への移行は、木星の宗教性や慈愛が失われ、土星の理性や公正さの時代への変化を意味しているともいえる。
 二十一世紀は人が進化を止め、信仰のなくなる時代になると言っている歴史作家がいて、その霊的にも特殊な才能を持つ人の言葉を聞いたとき、直感的にそれは魚座から水瓶座の時代への移行を意味するという解釈が頭に浮かんだ。」

桃井 「アクエリアスの時代が、信仰のなくなる時代の始まりというのは、とても意外な結論ですね。」

岩田 「そうだね、自派の教義や教祖に対する、盲目的で排他的な信仰が、多くの悲劇を生んだことを考えれば、信仰がなくなる時代が良いのか悪いのかは、簡単に決められることではないだろうね。

 もともと春分点の水瓶座への移行なんて、あまり興味のないテーマだったから、このインスピレーションには、自分でも意外な感じだったけど、インド占星術から見たアクエリアスの時代というテーマは、結論の意外性があるから話のネタとしては面白いんじゃないかな。」

桃井 「でもこれって、けっこう人間の精神性に関する深遠なテーマかもしれないっていう感じがします。」

岩田 「まあ、そのうちもっと深い展開があるのかな、という気もするけどね。でもアクエリアスの時代については、次回で一応終わって、次のテーマに移ろう。」

桃井 「はい。」